自転車世界一周の旅/第57話 アムハラ文字の国、蝿を追い払わない子供たち
広大なアフリカ大陸にあって、エチオピアというのは特殊な国である。北のアラブとも、南のブラックアフリカとも、違う。主要公用語はアムハラ語で、ローマ文字ともアラビア文字とも異なるアムハラ文字を使用する。そして独自のエチオピア正教を守っている。
スーダン共和国 (The Republic of the Sudan) |
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エチオピア連邦民主共和国 (Federal Democratic Republic of Ethiopia) |
【エチオピア/国境の町メタマ】
国境の町メタマ。僕とジュノンは一泊十ブル(約百六十円)のブンナベッドと呼ばれる安宿に泊まった。電気も水道も通じておらず、夜は発電機、水は汲み置きのかめ。部屋は、泥を固めて積み上げたような造りで、トタン屋根、トタンの扉。いかにも虫のいそうなベッド、明かりはなし。どう贔屓目に見ても、スーダンよりもさらに貧しい第一印象だった。
【エチオピア/安宿ブンナベッド】
独自の歴史と文化を誇るエチオピアは、当然その食事も独特だ。主食はインジェラ。テフという穀物を発酵させた、鼠色のような褐色のような、丸くて薄い湿分ぴたぴたの生地。それに肉や野菜を炒めたり、煮込んだりしたおかずが付く。
「インジェラを食べられるかどうかで、エチオピアの旅は決まる」
そう誰かが言っていた。一口食べて、僕は(ダメだ)と思った。ジュノンの表情を窺うと、彼も顔をしかめていた。
酸っぱいのだ。酸味がきついのだ。それがお皿の端っこにちょこんと載った添え物ではなく、どでーんとお皿を埋め尽くして存在感のある主食なのだ。僕はこの先、毎日この酸っぱい主食インジェラで耐えられるか、少し心配になった。
それでも、食べなくては生きていけない。明日の行動もままならなくなる。飲み込むように、味わわなくてすむように、懸命に食べた。
スーダンと違い、エチオピアはビールが飲めた。しかし冷蔵庫はなく、ぬるかった。
【エチオピア/村の食堂にて】
【エチオピア/川を越えていく道】
低地の砂漠から、標高二千メートルを超える高原へ。
しかも未舗装路。強烈な上り坂と、悪路との戦いが続く。新しい道路を建設途中で、締まった砂地で走りやすくなっている箇所もあったが、たいがいは礫だらけだったり、砂が深かったりして、とてもとても自転車で走るような道ではなかった。
とんでもない山道が続くが、集落の数は多かった。集落と集落の間がかなり離れていても、なにかしら現地の人は歩いていた。ロバを連れ、ロバの背中にも自分の背中にも薪を背負って、峠道を歩いている人。どこまで通っているのか、すり切れた鞄をぶら下げ、鼻を垂れて、学校に通う子供たち。ときおり、人をこぼれんばかりに満載した車が、苦しそうな唸り声をあげて過ぎていく。
【エチオピア/険しい山道が続く】
高原に上りつめると、空気は涼しく爽やかになった。集落や田園風景が断続的に続き、流水は豊富で大地は豊かな印象があった。しかし人々の服装はぼろく、衛生状態は悪い。
「なんだってエチオピアはこんなに貧しいんだ」
ジュノンが訝しむように言った。
【エチオピア/標高二千メートルの高原へ】
「ギブミー・ペン」
「ワンダラー・プリーズ」
砂利道で必死にペダルを回す僕らに、子供たちは駆け足で容易についてくる。取り囲まれ、細い腕を差し出し、無視しても、追い払おうとしてもついてくる。
【エチオピア/途中の村】
「ユーユーユー、ユーユーユー」
英語のユーの意味なのだろうか。やたらにこの言葉を聞かされた。三歳くらいの小さな子供まで、僕らを見つけると、ユーユー言って、何かおくれと手を伸ばしてくる。
たちの悪い奴になると、石を投げてくる。ジュノンはたびたび本気で憤激し、子供たちに怒鳴っていた。ときに石を投げ返していた。彼が怒ると、逆に僕は冷静になったが、もし彼が冷静でいたら、むしろ僕が怒鳴っていただろう。
しかし、基本的に子供たちに悪意があるわけではない。村に着き、大きな木の木陰あたりで休んでいると、僕らを少し遠巻きにして、村じゅうの子供たちが集まってくる。少年も少女も幼子も、興味津々の目つきで僕らを見つめてくる。見つめ返すと、びくっとして一歩退いたり、恥ずかしそうに目を逸らしたりする。やがて十五、六歳くらいの少年が小さな棒切れを持って登場し、僕らに片言の英語で話しかけつつ、あっちへ行けと群がる子供たちを追い払うのだ。
【エチオピア/集落の子供たち】
子供たちが鼻を垂らしている。目には目やにがべったり付いている。そんな目や鼻に蠅が群がっている。怪我をしている子供たちがいる。腕に切り傷があったり、膝をすりむいて血を出したりしている。そんな腕や肘に蠅が群がっている。
子供たちは蠅を追い払おうとはしない。蠅が自分の身体に群がっていることに、そもそも気づいてすらいないみたいに。
エチオピアはたしかに貧しい。僕はそう思った。
出発から12185キロ(40000キロまで、あと27815キロ)
年 | 月 | 日 | 国 | できごと | 距離 |
2001 | 05 | 26 | アメリカ | 旅立ち 空路アラスカへ | |
08 | 05 | メキシコ | トゥーラ手前 | 5000 |
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09 | 04 | グアテマラ | 強盗事件発生 自転車を失う | 6940 |
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10 | 04 | イタリア | パナマから大西洋を越え、飛行機にて入国(ローマ) | ||
11 | 11 | トルコ | イスタンブール手前 | 10000 |
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14 | W杯サッカー欧州予選を観戦 翌日新聞に載る | ||||
12 | 03 | シリア | 自転車にて入国(アレッポ) | ||
14 | レバノン | バスにて入国(ベイルート) | |||
25 | ヨルダン | 自転車にて入国(アンマン) | |||
30 | イラク | ツアーにて入国(バグダッド) | |||
2002 | 01 | 01 | バグダッドにて年越し | ||
08 | イスラエル | バスにて入国(エルサレム) | |||
18 | ペトラ先ラジフ | 11000 |
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20 | エジプト | 船にて入国(ヌエバ) | |||
02 | 04 | スーダン | 船にて入国(ワディハルファ) | ||
17 | ゴタ~ガラバート間 | 12000 |
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20 | エチオピア | 自転車にて入国(メタマ) |