自転車世界一周の旅/第45話 伝説の都市バビロンと、シーア派の聖地カルバラ
元旦の朝、雨混じりのバグダッドを離れ、僕たちは南のバビロンへ向かった。
イラク共和国 (Republic of Iraq) |
【イラク/バグダッドのホテル】
「初詣はバビロンだ」
そう意気込んでいた僕たちだったが、残念ながらお目当ての空中庭園も、バベルの塔も、現代に実在してはいなかった。代わりに迎えてくれたのが、明らかに新築の青いイシュタール門。白い動物たちのレリーフがくっきりと描かれ、まるでさびれた遊園地の入口みたいな城門だった。
奥へ進むと、バビロニア王国の南宮が修復されていた。いや、修復というのは言葉のあやで、再現といってもよかった。レンガがきれいに組まれ、高い城壁が続いていた。真新しいレンガの中には、文字が刻み込まれているものがいくつかあった。
【イラク/バビロン遺跡の城壁】
「これは大統領がここの修復工事を行った際に刻んだものだ。この場所はイラク歴代の支配者にとって、とても伝統的で重要な場所だからね」
ガイド氏はサダム・フセインのことをいつも肩書きで呼んでいた。
「そうかフックンが造っちまったのか、これ」
新しい城壁を叩きながら、ターザンが大声で言った。長髪でがっしりした体躯のターザンは陽気な性格で、ツアーのムードメーカーになっていた。
「やっちまったなあフックン。記念にサインまでしちゃって」
【イラク/バビロン遺跡のライオン像】
一方で地面に目をやると、策で囲われた内側に、黒い何かが敷き詰められていた。
「アスファルトだ」
ガイド氏が言った。なんでも世界で最も古い舗装路であるとのこと。
同じ南宮の中には、アレクサンダー大王がここで息を引き取ったといわれる舞台が残されていた。その土台部だけは、黒ずんで染みだらけのレンガが並び、歴史を感じさせた。
アレクサンダーは紀元前四世紀の英雄である。今のギリシア北部に生まれ、ペルシアを征服し、インドまで攻め込んで空前の大帝国を築きあげた。果たしてサダム・フセインはこの舞台を眺めながら、自らを古代の英雄に重ね合わせ悦に浸っていたのだろうか。
【イラク/バビロン遺跡の舞台】
【イラク/アッバース朝初期のオヘイドル城壁】
午後、僕たちはカルバラを訪れた。事前知識なしで訪れたこの町には、二つの壮麗な廟があった。長さ二百メートルほどの参道を挟み、イマーム・フセインの霊廟と、異母弟アッバースの霊廟が対峙していた。
参道の両側には、コーラン、数珠、アザーンが流れる目覚まし時計など、宗教的な品を扱う店が軒を連ねていた。門前町のせいか、年端のいかない少女であっても、たいていヘジャブをまとっていた。ガイド氏はカオリさんともう一人の女性ナオちゃんに、ここではスカーフをかぶるように言った。
【イラク/カルバラ、イマーム・フセインの霊廟】
緻密で鮮やかな青タイルが貼られた重厚な門、アラビア文字や幾何学模様に彩られた壁面、金色のタマネギ型のドームとそり立つミナレット。その絢爛とした外観は、宗教施設というよりはあたかも宮殿のように見えた。
「今まで見たモスクの中で一番すごいや」
ユーシさんが嘆息していた。広々とした中庭はすべすべの大理石が敷かれて鏡面のように輝き、大勢の巡礼客、特に黒チャドルに身を包んだシーア派国家イランからの巡礼客で賑わっていた。
「西暦六八〇年、イマーム・フセインはここカルバラの地でウマイヤ軍に敗れ、戦死したのだ」
ガイド氏が説明をくれた。
【イラク/カルバラ、イマーム・アッバースの霊廟】
イマーム・フセインは、四代目正統カリフのアリーと、預言者ムハンマドの娘ファーティマの間に生まれた子である。ムハンマドの血を引くイマーム・フセインこそイスラムの正統な後継者だと考えるのがシーア派であり、歴史の勝者たるダマスカスのウマイヤ家を認めるのがスンニー派だった。
「だからカルバラは、シーア派にとって最高の聖地なのだ」
その晩僕たちが泊まったのは、アリーが暗殺されたクッファの町であり、翌朝訪れたのは、そのアリーの廟があるナジャフだった。いずれもカルバラと並ぶシーア派の大聖地であり、夜間や早朝にもかかわらず、大勢の巡礼者が集まり、真摯に祈っていた。
【イラク/ナジャフの市場】
【イラク/ナジャフ、アリーの霊廟】
さらに南下し、砂漠の中のウル遺跡へ。軍事施設が近いらしく、兵士の見張りが付いた。
一番目立つのが高さ十七・二五メートルの神殿ジグラット。紀元前二十二世紀、ウル第三王朝の時代に建てられたものだ。さらに六千年前のシュメール人による建物の跡、旧約聖書に登場するアブラハムが住んでいたといわれる住居跡、シュルギ王の墳墓など、気の遠くなるような太古の遺跡群が続いた。
【イラク/ウルのジグラット】
【イラク/ウルのジグラットの階段】
「この頃って日本は何時代?」
「縄文かな?」
「猿同然の生活してたんじゃないの」
メソポタミアの歴史の深さに圧倒された僕たちは、もう自虐的に笑うしかなかった。
【イラク/ウルの遺跡】
【イラク/バグダッドの魚料理レストラン】
出発から10694キロ(40000キロまで、あと29306キロ)
年 | 月 | 日 | 国 | できごと | 距離 |
2001 | 05 | 26 | アメリカ | 旅立ち 空路アラスカへ | |
07 | 20 | メキシコ | 自転車にて入国(ティファナ) | ||
08 | 05 | トゥーラ手前 | 5000 |
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09 | 04 | グアテマラ | 強盗事件発生 自転車を失う | 6940 |
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10 | 04 | イタリア | パナマから大西洋を越え、飛行機にて入国(ローマ) | ||
07 | トルヴァイアニカ先 | 7000 |
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20 | ギリシア | アテネ市内 | 8000 |
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30 | ペラ手前 | 9000 |
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11 | 11 | トルコ | イスタンブール手前 | 10000 |
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14 | W杯サッカー欧州予選を観戦 翌日新聞に載る | ||||
12 | 03 | シリア | 自転車にて入国(アレッポ) | ||
14 | レバノン | バスにて入国(ベイルート) | |||
20 | シリア | バスにて再入国(ダマスカス) | |||
25 | ヨルダン | 自転車にて入国(アンマン) | |||
30 | イラク | ツアーにて入国(バグダッド) | |||
2002 | 01 | 01 | バグダッドにて年越し |