自転車世界一周の旅/第43話 アンマン~イラクツアー前線基地
十二月二十五日、僕はヨルダンに入国した。
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シリア・アラブ共和国 (Syrian Arab Republic) |
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ヨルダン・ハシミテ王国 (Hashemite Kingdom of Jordan) |
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【ヨルダン/シリアとの国境】
前日にシリアポンドを使い切っていた僕は、国境でヨルダンディナールを入手できず、事実上一文無しのまま、およそ百キロ離れた首都アンマンを目指した。シリアで買っていたみかんとホブスで空腹をしのいだほか、走っている途中に呼び止められ、コーヒーやチャイを御馳走になったことが二度あった。
アンマン到着は夕刻。盆地地形の坂を下れども下れども、ネオンだらけの町がひたすら続き、ようやくクリフホテルに着いたときには、すっかり夜になっていた。ストーブが焚かれたロビーでは、フランス人の女性がクリスマスだからと言って菓子を配っていた。
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【ヨルダン/アンマンへ向かう道、標識の地名がそそる】
「イラクツアーの件なら聞いているよ」
クリフホテルの番頭、気のいい眼鏡のサミールが、僕に言った。
宿の掲示板には、イラクツアーの案内が貼られており、七日間からのモデルコースがいくつか示されていた。最少催行人数は五名で、主催はイラク航空とのこと。ツアーについて照会したユーシさんたちは、まもなくイスラエルから戻ってくるはずだと、サミールは丁寧に僕に教えてくれた。
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【ヨルダン/アンマン中心部】
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【ヨルダン/アンマン市街を一望】
七つの丘があるといわれるアンマンの市街。坂が多く、道は入り組んでいて迷いやすかった。二十世紀になってから急速に都市化した町であり、ダマスカスに比べると歴史的な風情には欠けた。一方でシリアにはなかったシティバンクやスーパーのセイフウェイがあった。ファーストフード店も多く、経済的には恵まれているように思えた。
僕は古着市を発見し、一ディナール(約百八十六円)でズボンを買った。それまで履いていたズボンは、自転車に乗りすぎたせいか、お尻に穴が空いてしまっていた。ちなみにTシャツは、日本から持ってきたものはすでに全滅、コスタリカやトルコで買ったものを着回していた。
クリフホテルから歩いてすぐの場所に、イラク料理の食堂があり、情報ノートでも評判だった。スープが三百フィルス(約五十六円)と安く、とても美味しいので、連日通うことになった。
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【ヨルダン/ハラナ城】
アンマンに来て三日目は、東部の砂漠地帯に点在するアズラック城やアムラ城の史跡を巡り、四日目はベイルート以来の再会となったハヤシくんと一緒に死海を訪れた。
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【ヨルダン/アズラック城】
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【ヨルダン/アムラ城の天井画】
アンマンから日帰りが可能な死海は、海抜マイナス三百九十四メートル、いわずと知れた世界最低地である。標高が下がったぶん冬でも暖かく、バーベキューをして楽しむ家族連れの観光客で賑わっていた。客寄せのラクダが忙しそうに子供たちを乗せていた。
温泉が湧き出ている箇所があり、そのお湯が川になって死海に流れ込んでいる。僕たちはそこで身体を慣らしてから、いざ死海へ飛び込んだ。
そして、浮いた。
本当に浮くのか半信半疑だったのだが、見事に浮いた。逆に潜ろうとしたのは大失敗で、目に塩分が滲みて激痛が走った。持参していたペットボトルの水ですぐに顔を洗ったが、肌も髪も唇も全てが塩でベタベタになった。
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【ヨルダン/死海】
夕方クリフホテルに戻ると、見慣れた顔ぶれが揃っていた。
「イラク行くよ」
僕の顔を見るなりユーシさんが言った。
その晩、イラク航空のツアー担当者がやって来て、僕たちは団体ビザの手続きや手付金の支払いをした。参加者は日本人ばかり九名で、二日後の出発が決まった。
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【ヨルダン/キング・フセイン・モスク】
十二月三十日。ツアーの出迎えはイラクナンバーのリムジン二台で、早朝にアンマンを発った僕たちは、昼前に国境に着いた。検問所は思った以上に混雑しており、向こう側にはイラクの国旗がはためているのが見えた。
カフィーヤを頭に巻き、立派な髭を生やした男たちが、書類を手にして窓口に並んだり、談笑しながら煙草を吹かしたりしていた。それは、僕が今までに越えてきた幾多の国境と、さして変わらない穏やかな緊張感だった。
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イラク共和国 (Republic of Iraq) |
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【イラクの団体査証】
しかし、出入国の手続は遅々として進まない。荷物検査、所持金の申告、ことあるごとに時間がかかり、そのたびにリーダーのユーシさんが呼ばれた。
「一人十ドル払えばさっさと終わるよ」
賄賂の要求があった。
二時間ほど経って、エイズ検査があった。
「ひょっとしたら、抜いた血をもとに俺たちのクローンが作られるのかもしれないぜ」
「ありえる。日本人のクローン作って、フックンの親衛隊にさせられるのかもしれないな」
僕たちは冗談を言い合った。フックンというのは、このツアーを出発するにあたり、万一の安全のために取り決めた符丁だった。
いざ、サダム・フセインの国へ。
出発から10694キロ(40000キロまで、あと29306キロ)
年 | 月 | 日 | 国 | できごと | 距離 |
2001 | 05 | 26 | アメリカ | 旅立ち 空路アラスカへ | |
07 | 20 | メキシコ | 自転車にて入国(ティファナ) | ||
08 | 05 | トゥーラ手前 | 5000 |
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09 | 04 | グアテマラ | 強盗事件発生 自転車を失う | 6940 |
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10 | 04 | イタリア | パナマから大西洋を越え、飛行機にて入国(ローマ) | ||
07 | トルヴァイアニカ先 | 7000 |
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14 | ギリシア | 船にて入国(パトラ) | |||
20 | アテネ市内 | 8000 |
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30 | ペラ手前 | 9000 |
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11 | 02 | ブルガリア | 自転車にて入国(ブエゴエフグラード) | ||
09 | トルコ | 自転車にて入国(エディルネ) | |||
11 | イスタンブール手前 | 10000 |
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14 | W杯サッカー欧州予選を観戦 翌日新聞に載る | ||||
12 | 03 | シリア | 自転車にて入国(アレッポ) | ||
14 | レバノン | バスにて入国(ベイルート) | |||
20 | シリア | バスにて再入国(ダマスカス) | |||
25 | ヨルダン | 自転車にて入国(アンマン) |