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自転車世界一周の旅/第33話 バルカン半島東進、走行距離一万キロへ


 ソフィアから進路は東に向かう。イスタンブールまで四百九十二キロという標識が現れた。自転車をこぐ脚に自然と力が入る。

ブルガリア/ソフィアから東、イスタンブールを目指す
【ブルガリア/ソフィアから東、イスタンブールを目指す】

 ブルガリアで困ったのは宿探しである。物価は安いのだが、安宿がなかなかない。これが自由な商売を禁じた社会主義の影響なのかどうか詳しくはないが、とにかくない。

 パザルズィクという町では中心部に二軒しかホテルが見つからず、安い方でも二十五ドルという貧乏チャリダーにしたら驚くほどの高額だった。最悪野宿を敢行しようかと困っていると、タクシーの運転手が助け船を与えてくれた。十レヴァの宿があり、そこまで二レヴァで連れていってくれるというのだ。

 十レヴァは約四百八十円、僕は半信半疑だったが、それは本当だった。タクシーで連れられた先、住宅地の路地を入ったところに、看板も何もないその民宿はあった。いくら自転車で走り回っても、自力では絶対に見つけることはできなかっただろう。タクシーを信じてよかったと、そう思えた。

 中庭に面した部屋にはテレビがあり、CNNを見ることができた。イスラムの断食月ラマダンの期間中も空爆を続行するべきか。そんなインターネット投票が番組内で実施されていた。反対票が六割を超えていた。

ブルガリア/パザルズィクの民宿
【ブルガリア/パザルズィクの民宿】

 パザルズィクは小さな町だったが、モスクがあった。夕食をトルコ風のファーストフード店でとったが、気さくに話しかけてきた店員はシリアのダマスカス出身だと言った。ブルガリアはキリスト教の国だが、イスラム教徒も相当数住んでいるのだ。

「ダマスカスか。行きたいなあ」

 僕は愛想良く、そんなことを答えた。

ブルガリア/プロブディフのスタンボリスキ広場
【ブルガリア/プロブディフのスタンボリスキ広場】

 パザルズィクから半日で、ブルガリア第二の都市プロブディフに着いた。紀元前からの歴史を持つ古い町であり、三つの丘の町という異名をとるほど、坂が多く、階段が多く、立体的に入り組んだ構造をしていた。中心部のスタンボリスキ広場は狭い路地が集まる小さな広場だったが、多くの絵画の露店が並んでいて、さながら青空画廊といった趣だった。

 この町でも、僕は宿探しに苦労した。民宿を紹介してくれるはずの旅行社が移転しており、結局三十レヴァ(約千四百四十円)の宿で妥協した。

「アイン・ナハト?」

 気の良さそうなおじさんは英語が喋れず、代わりにドイツ語で一泊だけかと訊いてきた。

 ブルガリアでは似たような体験が何度かあった。商店でパンを買ったときの店員の言葉は「メルシィ」とフランス語だったし、英語の国際語としての認知度が低いのだ。

ブルガリア/宿の周辺、坂の多い街並み
【ブルガリア/宿の周辺、坂の多い街並み】

 しかし、それ以上に戸惑ったのは、首の振り方が逆だということだ。これはブルガリアに特有の慣習らしく、肯定のときに首を横に振り、否定のときにうなずくのだ。噂には聞いていたものの、実際目のあたりにすると、かなりの違和感があった。

 店の店員が「ダー」と微笑みながら首を横に振る。それは「だめだー」という拒否ではなく、「いいですよ」という了承の意味なのだ。ジェスチャーは万国共通だなどとよくいうが、それは幻想であると知った。

 ソフィアから標高が下がっているためか、晴れた空のお陰か、風も穏やかで、東へと向かう草原の道は、寒さがやわらいでいた。

*   *   *

 ブルガリア共和国
(Republic of Bulgaria)
 トルコ共和国
(Republic of Turkey)

 十一月九日、僕はついにトルコとの国境を越えた。赤地に星と三日月のトルコ国旗が翻り、丸屋根のモスクが見えた。

トルコ入国
【トルコ入国】

 スラブ人には「無口な人」という意味があるらしいが、それに比べるとトルコの人は本当に陽気だった。ブルガリアでは自転車で走っていても、話しかけられることがあまりなかったが、トルコでは沿道からうるさいほどに呼びかけられた。

「マイネーム・イズ?」

 誰に教わった英語なのか、そう叫びながら子供たちが追いかけてきたのがおかしかった。

トルコ/エディルネのセリミエ・ジャミィ
【トルコ/エディルネのセリミエ・ジャミィ】

 二日後、いよいよイスタンブールが目前に迫ってきた。等高線に反映されないような小さな丘が繰り返され、自転車にはしんどい道だった。田園風景が続いていたが、やがて空港を過ぎたあたりから、街並みが途切れないようになった。交通量が激増した。

トルコ/丘陵地帯の道
【トルコ/丘陵地帯の道】

 僕は自転車のメーターに目をやった。ローマから三千六十キロ、そこにグアテマラで途切れた六千九百四十という数字を足して、まもなくちょうど一万の数字を刻もうとしていた。

 一万キロ。地球一周の四分の一。

 まさかトルコでこの区切りを迎えるとは、アラスカを出発したときには予想していないことだった。このあと東に進むか、南に挑むか、はたまた飛ぶか。決めかねたまま、僕はイスタンブールの市街地に突入した。

トルコ/通算走行距離一万キロ突破
【トルコ/通算走行距離一万キロ突破】

ヨーロッパ地図

出発から10000キロ(40000キロまで、あと29985キロ)

できごと 距離
2001 05 26 アメリカ 旅立ち 空路アラスカへ
07 20 メキシコ 自転車にて入国(ティファナ)
08 05 トゥーラ手前
5000
09 02 グアテマラ 自転車にて入国(サンタ・エレーナ)
04 強盗事件発生 自転車を失う
6940
18 エルサルバドル バスにて入国(サンサルバドル)
30 パナマ バスにて入国(パナマシティ)
10 03 出国 空路大西洋を越える
04 イタリア 飛行機にて入国(ローマ)
05 二台目の自転車を購入、再出発
07 トルヴァイアニカ先
7000
14 ギリシア 船にて入国(パトラ)
20 アテネ市内
8000
30 ペラ手前
9000
11 02 ブルガリア 自転車にて入国(ブエゴエフグラード)
09 トルコ 自転車にて入国(エディルネ)
11 イスタンブール手前
10000

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