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自転車世界一周の旅/第32話 ЯやЖの国、不良高校生と呑んだ夜


「金曜の夜はパーティーだ」

 およそ十七歳には見えない彼、アセンが言った。

 ブルガリア共和国
(Republic of Bulgaria)

ブルガリア/南西部の道、キリル文字の標識
【ブルガリア/南西部の道、キリル文字の標識】

 ブルガリアに入国した僕は、強烈な逆風に悩まされていた。川に沿った谷あいのなだらかな道であったが、北からの風は凄まじく、僕は喘ぎながら自転車をこいでいた。

 たまらず休憩をとろうとしたところで、僕の前に停車した一台の車から現れたのが、アセンだった。母親と一緒だった彼は英語ができ、この先のブラゴエフグラッドまで行くから乗っていけと言った。そしてブエゴエフグラッドに着いたところで、僕を誘ったのだ。

 僕は日本人的な感覚で、なにかコンパでも予定されているのかと思っていたのだが、特にそういったことではなく、ただ僕はアメリカンスタイルのバーに連れていかれた。

 自称十七歳にもかかわらず、アセンは酒を呑み、煙草も吸った。バーの店員ともすっかり馴染みであるようだった。念のためブルガリアの法律はどうなっているのだと尋ねると、アセンは(それは言わない約束だろ)という顔をした。その反面、自分が老けて見られることをずいぶんと気にしているようでもあった。

ブルガリア/ブエゴエフグラッドで出会った高校生と弟
【ブルガリア/ブエゴエフグラッドで出会った高校生と弟】

 顔が広いのか、それとも狭い町なのか、バーにやって来る若者たちはたいていアセンの知り合いだった。みな似たようなジャンパーを着込み、ジーンズを履いていた。

 彼らは物珍しそうに僕を見つめた。僕を囲むようにして席に着いた。友人たちはどうやら英語があまり喋れないようで、アセンが彼らの代わりに僕に質問を投げかけた。

「サムライは実在するのか?」

「日本語でアイラヴユーはなんて言うんだ?」

「じゃあ、一緒に寝たいっていうのは?」

 そんな質問である。

 三番目の質問の答を、アセンはよほど気に入ったのか、カウンターのお姉ちゃんに向かって連発していた。彼は代わりにブルガリア語の答も教えてくれたのが、僕は使う機会もなく、残念なことにすぐに忘れてしまった。

 さらに近くの安い中華料理屋に移動したあと、アセンは自宅にも案内してくれた。中層アパートの一室だったが、パソコンからオーディオ機器まで揃っていて、かなりの富裕層であることを感じさせた。十一歳だという弟が英語で挨拶してきたことに驚かされた。

 遅くまであちこち連れ回されたが、新しい国に入って初日、いきなりのハチャメチャで愉快な夜だった。

ブルガリア/リラの僧院へ向かう道
【ブルガリア/リラの僧院へ向かう道】

ブルガリア/ブルガリア正教の総本山リラの僧院
【ブルガリア/ブルガリア正教の総本山リラの僧院】

ブルガリア/僧院に隣接したレストランの二階に泊
【ブルガリア/僧院に隣接したレストランの二階に泊】

*   *   *

 ブルガリア正教の総本山リラの僧院を経て、首都のソフィアに着いた。

 ソフィアのユースホステルは団地の奥、非常に分かりにくい小道の沿いにあり、大学の寮みたいなオンボロの建物だった。周囲には古く武骨なビルばかりが無機質に並び、明かりは少なく、どことなく陰気だった。旅行者もあまり泊まっていないようで、誰かと話をしたかった僕はがっかりだった。

ブルガリア/ソフィアのユースホステルの界隈
【ブルガリア/ソフィアのユースホステルの界隈】

 そんなソフィアだが、朝がこれまた凍えるように寒い。テレビの天気予報によれば、アテネの気温二十二度に対し、ソフィアはわずか七度であった。路面電車に乗って早速中心部に出てみたものの、歩き回るのもためらわれるくらいに寒かった。ギリシアで買った安ジャンパーでは、どうやらここの気温には耐えられないようだった。

 中心部の一画にバーニャ・バシ・モスクというイスラム寺院があり、その裏手に飲用の温泉が湧き出しているところがあった。僕は持っていたペットボトルに温泉を汲んだ。たしかに硫黄臭さが感じられたが、なにより温かい。僕は飲むのではなく、むしろ手に抱いて懐炉の代わりとした。

ブルガリア/バーニャ・バシ・モスク
【ブルガリア/バーニャ・バシ・モスク】

 ブルガリアはキリル文字発祥の国として知られている。ソフィアの街角は当然、ローマ文字をひっくり返したようなЯやЖなど、キリル文字の看板や標識で溢れていた。温泉入りのペットボトルを抱きかかえ、二レヴァ(約九十六円)の一日乗車券を利用して路面電車を乗りこなし、僕はソフィアを歩き回った。

 ソフィアの中央駅は照明が暗くて陰気臭く、国立文化宮殿や旧共産党本部など、社会主義時代の往時を彷彿させるバカでかい建築物が建ち並んでいた。一方で繁華街には小洒落た明るい店構えが軒を連ね、流行なのであろうファッションに身を包んだ若者たちで賑わっていた。

 そんな首都ソフィアの治安は、民主化以降悪化しているのだという。資本主義経済の導入で貧富の差が拡大していることが原因だが、さらに近年は、アジア人など外国人労働者を狙った暴力事件が多発している。旅行者が狙われることもあるので、スキンヘッドの若者集団には注意すべしといわれていた。

 幸い僕は彼らに遭遇することはなかったが、日が落ちる前に帰宿することにした。

ブルガリア/ソフィアの鉄道駅
【ブルガリア/ソフィアの鉄道駅】

出発から9412キロ(40000キロまで、あと30588キロ)

できごと 距離
2001 05 26 アメリカ 旅立ち 空路アラスカへ
07 20 メキシコ 自転車にて入国(ティファナ)
08 05 トゥーラ手前
5000
09 02 グアテマラ 自転車にて入国(サンタ・エレーナ)
04 強盗事件発生 自転車を失う
6940
18 エルサルバドル バスにて入国(サンサルバドル)
30 パナマ バスにて入国(パナマシティ)
10 03 出国 空路大西洋を越える
04 イタリア 飛行機にて入国(ローマ)
05 二台目の自転車を購入、再出発
07 トルヴァイアニカ先
7000
14 ギリシア 船にて入国(パトラ)
20 アテネ市内
8000
30 ペラ手前
9000
11 02 ブルガリア 自転車にて入国(ブエゴエフグラード)

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