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自転車世界一周の旅/第25話 パナマ~憎らしいほど青い海


 九月三十日、コスタリカからパナマへ。パナマ入国に際しては出国航空券の呈示を求められ、持っていない僕はコスタリカに戻るバス券を嘘でも買わなくてはいけなかった。

コスタリカ→パナマ/中米最後の国境
【コスタリカ→パナマ/中米最後の国境】

 コスタリカ共和国
(Republic of Costa Rica)
 パナマ共和国
(Republic of Panama)

 サンホセからおよそ十七時間、左手に突然湾が広がっているような景色が見えた。海が見えるのは南、すなわち右側のはずだと思ってそちらを見ると、やはり同じように水域が広がっていた。僕は地図を確認し、それがパナマ運河の河口であると気づいた。太平洋と大西洋をつなぐパナマ運河だ。一九九九年の大晦日にアメリカからパナマに返還されたというニュースを、僕は覚えていた。

 運河を渡す橋を越えると、まもなく首都パナマシティのビル街が見えてきた。

パナマ/パナマ運河のミラフローレス水門
【パナマ/パナマ運河のミラフローレス水門】

 強盗事件以来、日本の家族や知人、あるいはアメリカやメキシコで出会った旅仲間から、僕は多くのメールを貰っていた。

《シュウ、大丈夫か。元気出せよ》

 ホワイトホースでお世話になったディビッドは、同情と励ましのメールをくれていた。

《世界は広いから、ユーラシアに絞って走るのもいいんじゃないの》

 シアトルで文庫本をくれたタナカさんは、僕と入れ違いにペンションアミーゴに来て、しばらく滞在しているらしかった。

《私もひったくりに遭って大変だったよ》

 サンタモニカで最初に会い、ラパスやメキシコシティでも一緒だったエリコさんは、キューバに行っており、ようやくグアテマラに来たらしかった。アルゼンチンでまた会って、南極に一緒に行こうなんて話をしていたが、約束は果たせそうになかった。

 パナマと南米のコロンビアは陸続きだったが、ジャングル地帯で道がない。しかも麻薬密輸組織の勢力下に置かれ、往来はほぼ不可能とされていた。だから、陸づたいで行けるパナマまで、とりあえず行こう。でも、そこからはもう、海を越えてヨーロッパに飛ぼう。迷った末に、僕はそう決めていた。

 南米へ行く気概は完全に消えていた。マチュピチュの空中都市も、真っ白なウユニ塩湖も、世界最大のイグアスの滝も、強盗にやられてつぶれた僕をもう呼んではいなかった。

*   *   *

 南北アメリカ大陸を結ぶ世界の十字路パナマシティ。バスターミナルを出て、ザックを背負ったまましばらく歩くと、新市街と旧市街を結ぶセントラル大通りに出た。

 今まで訪れた中米のどの町よりも、パナマシティは賑やかで活気があった。白人も、黒人も、東洋人も多い。関税が安いのか、衣料品の店が特に目立った。ときおり伝統的な衣装を着たインディヘナのおばさんが、土産物を売っている姿も見かけた。

「ケ・ブスカ」

 店先を覗いていると、何をお探しだいと、怒鳴るように問いかける声がする。商品を手に持ち、これはいくらだと説明をくれる。

「ノー・キエロ」

 いらないと、僕は手を振って答えた。

 南へ向かって歩いていくと、やがてカスコ・ビエホと呼ばれる旧市街に入る。植民地時代の建物が狭い路地を挟んで建ち並ぶカスコ・ビエホ地区は、街全体が世界遺産に指定されていた。しかし安宿のある一角は薄暗く、人通りも少なく、どこから暴漢が現れても不思議のない不穏な空気に満ちていた。

パナマ/カスコ・ビエホ地区
【パナマ/カスコ・ビエホ地区】

(今度は殺されるかもしれない)

 心に染み付いた強盗の恐怖は拭えないまま、四万キロを目指して始まった旅は、六千九百四十キロで止まったままだった。盗まれた自転車の夢を何度も見た。

 僕はヨーロッパで自転車を買い直すつもりでいた。もう少し安全な場所で、もう一度自転車の旅をやり直したかった。

 宿に荷物を置き、夕方まだ明るい時間帯、旧市街の先端まで歩いてみた。

 フランス広場と呼ばれる三角形の広場には、背の高い記念碑があった。その周囲にこぎれいな遊歩道が整備され、展望台があり、大勢の観光客やカップルたちが、柵に身体をもたせ、眺望を楽しんでいた。付近の砂浜では子供たちが波と戯れていた。小さな湾を挟んだ対岸に、新市街の摩天楼がそびえているのが見えた。

 交通の要所であるパナマシティは、そもそもスペイン軍の築いた城塞の町だった。南米侵略の拠点とされ、インカ帝国の財宝もここを通ってスペインへと運ばれたという。

(北米、ヨーロッパ、アジア、これでも立派に世界一周じゃないか)

 僕は自分に言い聞かせた。

 久しぶりに海を見た。憎らしいほどいい眺めだった。

パナマ/海越しに新市街を望む
【パナマ/海越しに新市街を望む】

中米地図

出発から6940キロ(40000キロまで、あと33060キロ)

できごと 距離
2001 05 26 日本 旅立ち 空路アラスカへ
27 アメリカ アンカレジにて自転車購入
0
07 カナダ 自転車にて入国(ビーバークリーク)
14 アメリカ 自転車にて再入国(スキャグウェイ)
22 船にてアメリカ本土上陸
20 メキシコ 自転車にて入国(ティファナ)
08 05 トゥーラ手前
5000
06 メキシコシティ到着
24 チチェンイツァ先
6000
29 ベリーズ 自転車にて入国(オレンジ・ウオーク)
09 02 グアテマラ 自転車にて入国(サンタ・エレーナ)
04 強盗事件発生 自転車を失う
6940
18 エルサルバドル バスにて入国(サンサルバドル)
20 ホンジュラス バスにて入国(コパンルイナス)
24 ニカラグア バスにて入国(マナグア)
26 コスタリカ バスにて入国(サンホセ)
30 パナマ バスにて入国(パナマシティ)

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