自転車世界一周の旅/第22話 生き残ったマヤ民族の言葉と宗教を感じて
(旅を諦めて日本に帰る)
そんな選択肢すら頭に浮かべつつ、アンティグアを離れた僕は、少しだけグアテマラの田舎を回ることにした。
交通手段はもちろんバス。ザック一つを背負えば荷物が足りる。自転車を奪われた事実に改めて気づき、旅が身軽であることが、また僕を落ち込ませた。車窓を流れるように過ぎ去っていく山の景色を見ると、ただそれだけで空しさが込み上げてきた。
本当ならこの道を、僕は自転車で走っていたのだ。いくつもの村を越えて、峠を越えて、自分の足で、次の町を目指していたのだ。
(俺のチャリを返してくれ!)
グアテマラ共和国 (Republic of Guatemala) |
【グアテマラ/チチカステナンゴ、サント・トマス教会】
チチカステナンゴは標高二千メートル超、マヤ系キチェ族のバザールで賑わう田舎の町だった。色鮮やかな染め物が小道をふさぐようにして幾重にもぶら下げられていた。赤や青や紫色の線模様が入った貫頭衣を着込んだ少女たちが、母親を手伝って働いていた。
町外れの丘には、黒い石像を祀る祭壇があった。小さなお地蔵様のようにも見えるが、パスクアル・アバフと呼ばれるキチェ族の神様だ。火が焚かれ、煙の出る缶を振り動かすおじさんがいて、経文のような言葉を唱えていた。
町の中心には、サント・トマス教会というカトリックの教会があった。正面の石段ではやはり焚き火がされ、中へ入ると薄暗かった。たくさんの蝋燭のゆらめきと、香草臭さが入り混じり、黒く煤けた教会の内装と相まって、キリスト教とは異質の宗教が実際には息づいていることを感じさせた。
教会の隣では、マヤの暦法を表すカレンダーや、キチェ語で書かれたキリスト教の本が売られていた。売っていたおじさんは「ハポン、ハポン」と言いながら、僕にキチェ語での一・二・三の読み方を教えてくれた。
【グアテマラ/マヤの宗教祭壇、パスクアル・アバフ】
チチカステナンゴからバスを乗り継ぎ、到着したのは標高千五百メートルの高地に位置し、世界一美しいとも形容されるアティトラン湖畔の町パナハッチェル。ここから湖を船で渡り、インディヘナの村サンチャゴ・アティトランを訪れる。アティトラン湖の周囲にはインディヘナの暮らす村が点在していたが、そのうちサンチャゴ・アティトランは、チチカステナンゴのキチェ族とは別のカクチケル族が住む村だった。
僕のような旅行者が船を降りると、すぐさま子供たちが集まってきた。スペイン語に片言の英語を交え、案内してやるからついてこいと言ってくる。
「マシモン!」
子供たちが盛んに叫ぶのは、この村に祀られている神様の名前。住宅街の裏路地を入ったところに、その神様は鎮座していた。木製の像で葉巻をくわえていた。煙草を線香代わりにして、たくさんの蝋燭や色テープで、賑々しく祠は飾られていた。
日本にも酒好きの神様というのはあるから、煙草好きの神様があっても、たぶん不思議ではないのだろう。
チチカステナンゴもサンチャゴ・アティトランも、民族色豊かな市場が観光客に人気だったが、それ以上にマヤの宗教や言葉が残っている一面を知れたことが、僕には印象的だった。「先住民」という括り方がむしろそぐわない、そんな気さえした。
断定はできないが、グアテマラシティで僕の頭を殴り、自転車を奪い去っていったのは、たぶん貧しいインディヘナの誰かだろうと思われた。のどかに思える田舎の観光地でも、一歩離れると外国人旅行者を狙った強盗事件が絶えないという。それでも僕はマヤの人々を憎む気にはなれなかった。
【グアテマラ/煙草好きの神様マシモン】
「ネセシート・ディネーロ・パラ・コメール」
六歳くらいだろうか、貧しい身なりの少女が、そう言って安っぽいアクセサリーを売ろうとすり寄って来たことがあった。二度追い払っても、三度やって来た。
(食べるためにお金が必要です)
スペイン語学校に通った成果か、僕は少女の発した言葉が理解できてしまった。
一個四ケツァール(約五十六円)の売り上げで原価を引いて、どれだけのトルティージャになるのか分からない。幼い心で、僕たち金持ち外国人の存在をどう思っているのかも分からない。ただこの貧富の差が、結局は社会を歪め、治安を悪くさせている、そのことだけは痛いほど分かるような気がした。
僕はポケットから小銭を取り出した。
「グラシアス」
お礼の言葉を聞いて泣きそうになった。
【グアテマラ/サンチャゴ・アティトラン】
出発から6940キロ(40000キロまで、あと33060キロ)
年 | 月 | 日 | 国 | できごと | 距離 |
2001 | 05 | 26 | 日本 | 旅立ち 空路アラスカへ | |
27 | アメリカ | アンカレジにて自転車購入 | 0 |
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06 | 05 | フェアバンクス~デルタジャンクション間 | 1000 |
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07 | カナダ | 自転車にて入国(ビーバークリーク) | |||
14 | アメリカ | 自転車にて再入国(スキャグウェイ) | |||
18 | ジュノー市内 | 2000 |
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22 | 船にてアメリカ本土上陸 | ||||
07 | 01 | ベア湖~ローガン間 | 3000 |
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16 | サンタモニカ手前 | 4000 |
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20 | メキシコ | 自転車にて入国(ティファナ) | |||
08 | 05 | トゥーラ手前 | 5000 |
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06 | メキシコシティ到着 | ||||
24 | チチェンイツァ先 | 6000 |
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29 | ベリーズ | 自転車にて入国(オレンジ・ウオーク) | |||
09 | 02 | グアテマラ | 自転車にて入国(サンタ・エレーナ) | ||
04 | 強盗事件発生 自転車を失う | 6940 |