自転車世界一周の旅/第15話 テノチティトラン~アステカ帝国の湖上の都
テノチティトラン。かつてアステカの人々は、メキシコシティのことをそう呼んでいた。
この地にまだ侵略者が訪れていなかった頃、緑の野山に囲まれた盆地には大きな湖があった。テスココと呼ばれたその湖には美しい中の島が浮かんでいた。その中の島に都があった。やがてこの地にやって来るスペイン人たちは、その姿を見て、その霧に包まれた幻想的な景色に大変な感動を覚えたという。
メキシコ合衆国 (United Mexican States) |
【メキシコ/テスココ湖の面影を唯一残すソチミルコ】
二十一世紀の現代、メキシコシティがかつて湖上の都市だったという面影はない。郊外のソチミルコと呼ばれる水郷地区を除き、湖はそのほとんどが埋め尽くされ、ただのっぺりと巨大な首都圏が広がっている。
メキシコシティの中心はソカロ。メキシコはたいていどの町にもソカロと呼ばれる中央広場があるが、メキシコシティのソカロは圧倒的に巨大だった。四辺形のソカロを囲んで、重厚な国立宮殿や、カトリック教会のメトロポリタンカテドラルが悠然と建っていた。広場の中央には恐ろしく大きなメキシコ国旗が翻っていた。
【メキシコ/メキシコシティ郊外】
僕はメキシコシティ滞在中、何度もソカロに出かけた。ペンションアミーゴの仲間たちと、夜に出かけたこともあった。
現在国立宮殿が建っている場所には、かつてアステカの皇帝が住んでいた王城があったという。メトロポリタンカテドラルがそびえている場所には、最高神の一つケツァールコアトルの神殿が建てられていたという。テノチティトランを陥としたスペイン人は、まずその権力の象徴と、宗教の聖域を破壊した。そして自らの君臨と支配を示すため、その全く同じ場所に、彼らの宮殿と、彼らの信ずるところの教会を打ち建てたのである。
《勝利も敗戦もなかった。耐え難い産みの苦しみののち、メスティソ(混血)の国が生まれた。それが今日のメキシコである》
最後の皇帝クアウテモックが勇敢に散った戦場の跡は、現在は三文化広場と呼ばれ、滅亡の日を今に伝える碑文が残されていた。
【メキシコ/メキシコシティ郊外の町タスコ】
アステカが滅ぼされた頃、種子島に鉄砲が伝来した。もしその後日本がアステカと同じ運命を辿っていたら、京都や江戸はいったいどうなっていたことか……。
日本は独立を保った。アステカは滅亡し、植民地とされた。その差は途方もなく大きい。今もメキシコでは、肌の白いほうから金持ちであり、褐色肌の人々が貧しいのだ。
ソカロの片隅にはテンプルマヨールと呼ばれるアステカ時代の神殿の遺跡があり、民芸品の露店が並び、色鮮やかな衣装を身にまとったインディヘナ(先住民)の人々が踊りを披露していた。すぐそばに、昔ここがテスココ湖に浮かぶ都市テノチティトランであったことを示す大きな模型が置かれていた。ひょうたん型の湖の端に中の島が浮かび、島の上に町が形成されていた。
アステカの儚い栄華を思うには、もはや想像に頼るしかない。
国立宮殿の地下には、メトロポリタンカテドラルの地下には、そして巨大な中央広場ソカロを掘り返してみれば、今もなおアステカ帝国の遺構が、絶望の最後を抱いたまま眠っているのである。
【メキシコ/在りし日のテノチティトラン】
メキシコシティ八日目、事件が発生した。宿のみんなで市場に買い出しへ行こうと混んだ地下鉄に乗っていたときのことだった。
大都市メキシコシティには九本の地下鉄路線があり、どこへ出かけるのにも便利だったが、イダルコ駅という乗換駅はスリが多いことで悪名が高かった。乗降が多く、やたらに混雑した車内で、僕は下から上へと突き上げるような奇妙な押され方をした。
(おかしい!)
そう思ってポケットを探ると、財布がなくなっていた。チャックの壊れた古ぼけた旅用の財布だった。現金約百五十ペソ(約二千百円)とユースホステルの会員証などが入っていた。クレジットカードや米ドル札を別のところに隠していたのは幸いだった。
被害が少なくてよかったが、僕はその日一日落ち込んでいた。人々が陽気で明るく、居心地良く思えたメキシコが、その裏では危険な側面があることを痛感した。
アミーゴに泊まっていた他の旅行者には、僕と同じように地下鉄で二百ドルをすられたという人がいた。エルサルバドルやパナマで強盗に遭い、中米なんて見所もないから行かないほうがいいと断言している人もいた。
《少し気が緩んでいたかもしれない。百五十ペソを授業料として、今後は気を引き締めていこう》
その日の日記に僕はそう書いている。そんなことをちゃんと書いていたのだ。
【メキシコ/メキシコシティのソカロ、テノチティトランの模型】
出発から5250キロ(40000キロまで、あと35641キロ)
年 | 月 | 日 | 国 | できごと | 距離 |
2001 | 05 | 26 | 日本 | 旅立ち 空路アラスカへ | |
27 | アメリカ | アンカレジにて自転車購入 | 0 |
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06 | 05 | フェアバンクス~デルタジャンクション間 | 1000 |
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07 | カナダ | 自転車にて入国(ビーバークリーク) | |||
14 | アメリカ | 自転車にて再入国(スキャグウェイ) | |||
18 | ジュノー市内 | 2000 |
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22 | 船にてアメリカ本土上陸 | ||||
07 | 01 | ベア湖~ローガン間 | 3000 |
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16 | サンタモニカ手前 | 4000 |
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20 | メキシコ | 自転車にて入国(ティファナ) | |||
08 | 05 | トゥーラ手前 | 5000 |
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06 | メキシコシティ到着 |