自転車世界一周の旅/第3話 アラスカハイウェイ、午後十一時の夕焼け
アラスカ中央部の都市フェアバンクスを経て、僕は東へと向かった。
フェアバンクスから二十キロほどでノースポールという小さな町。北極という名のこの町はサンタクロースを売り物にしていて、町じゅうの建物が赤と白のサンタ色に染められていた。
しばらくは平坦路、アイルソン空軍基地の横を通過し、青いネナナ川に沿って徐々に坂道の割合が増えてくる。途中の工事現場で旗を振っていた女性に「キヲツケテ」と日本語で言われたのには驚いた。
【アラスカ/アラスカ第二の都市フェアバンクス】
【アラスカ/サンタクロースの町ノースポール】
アラスカハイウェイは、アラスカとカナダのユーコン準州を結ぶ国際道路である。針葉樹林に囲まれた道は、かつてゴールドラッシュに湧いたこの地方の開拓道路であり、今はまた雄大な景色が展開する北米有数の観光道路でもある。北米大陸の五千メートルを越える十いくつの高座のうち、大半は極北のこの地方に集中しているのだ。
一時間で二十キロ走ったら、少し休む。水を飲み、食料を補給する。ガソリンスタンドや売店があれば、そこで休む。僕はこのパターンを繰り返し、ひたすら走った。
厄介なのは蚊の存在だった。「アラスカの『州の鳥』は蚊である」という冗談があるくらい、その数は多く、しかも巨大だった。これがイナゴだったら全身食い尽くされてしまうのではないかと思えるほどの大群が、何度も僕に襲いかかってきた。平らな道や下り坂はよかったが、上り坂では敵の飛行速度のほうが速かった。虫除けスプレーも大して効いているようには思えなかった。
まもなくアンカレジからの走行距離が千キロを越えた。四万キロを目指す僕の旅の、最初の小さな区切りだった。
【アラスカ/アラスカハイウェイ、ネナナ川】
【アラスカ/ハイウェイの起点、デルタジャンクション】
六月七日の朝、僕はアラスカ東部のトクという町にいた。キャンプ場のテーブルで朝食に炊いたご飯をぱくつきながら、アンカレジで買ったアラスカ全図を広げた。
トクからカナダとの国境までは、百五十キロほどの距離があった。地図を見ると国境に接してカナダ側にはビーバークリークという集落があり、キャンプ場の存在を示すテントマークが付けられていた。
(よし、今日はいよいよ国境越えだ)
そう考えると気合いが入った。
【アラスカ/アラスカハイウェイ】
トクの町を離れてまもなく、とある峠道の中腹で、僕は向こうから歩いてくる二人組を見つけた。大きなリヤカーを引いていた。
立ち止まった彼らのそばに、僕は自転車を寄せた。彼らはアラスカハイウェイの起点となるカナダ領のドーソンクリークから、九週間かけて歩いてきているのだと言った。
「目的地はフェアバンクスさ。あと二週間はかかるだろうな」
なんてことはない顔をして彼らは言った。
【アラスカ/トクの町】
【アラスカ/トホダーとの出会い】
リヤカーには替えのタイヤや水タンクが山と積まれていた。僕はまだ自転車だから一日のうちに次の町に辿り着くことができるが、彼らは町と町の間で野宿を繰り返しているのだろう。フェアバンクスからここまで、僕は三日で走破していた。車ならおそらく半日足らずの距離。それを二週間である。
彼らと会話を交わした時間は十分にも満たない。互いに記念の写真を撮ってすぐに別れたが、僕は大いに勇気づけられた。歩いて旅をしている奴らだっているんだ。自転車で世界を走れないわけがない!
【アメリカ→カナダ/カナダ入国】
アメリカ合衆国 (United States of America) |
|
カナダ (Canada) |
午後の七時を回り、ようやく国境が近づいてきた。それまで好天だったのが、なぜか国境付近の数キロだけ雨雲がたちこめていた。そして国境には、アメリカ側の事務所しか置かれていなかった。嫌な予感がした。
「カナダの入国審査はここから二十マイル先だよ」
パスポートに出国印をくれた係員が、御苦労様という表情で、僕に告げた。
時差のおまけがついて午後八時。まだまだ空が明るいのが幸いだったが、国境を越えたらすぐにキャンプ場だと考えていた僕にとって、予期せぬ延長戦だった。
結局この日は、百八十キロを走る羽目になった。無事にカナダ入国を済ませ、樹林帯のキャンプ場に辿り着いたときには、夜の十時を回っていた。疲労困憊だった。
テントを張り、食事を作り、その日の日記などつけていると、ようやくあたりが薄暗くなってきた。周囲は寝静まっている。
【カナダ/カナダ側入国事務所】
【カナダ/ビーバークリークのキャンプ場】
午後十一時の夕焼け。西の空が燃えるように赤い。
今まで見たこともないような深い色だった。呑み込まれそうな迫力があった。太陽がゆっくりゆっくり沈んでいくから、その分長い時間をかけて西の空は焼き焦がされて、こんなにも美しく恐ろしいまでの赤銅色に染められるのだろうか。
僕は眠いのも忘れ、しばらく茫然と空だけを見つめていた。
出発から1463キロ(40000キロまで、あと38537キロ
年 | 月 | 日 | 国 | できごと | 距離 |
2001 | 05 | 26 | 日本 | 旅立ち 空路アラスカへ | |
27 | アメリカ | アンカレジにて自転車購入 | 0 |
||
31 | デナリ国立公園を走る | ||||
06 | 05 | フェアバンクス~デルタジャンクション間 | 1000 |
||
07 | カナダ | 自転車にて入国(ビーバークリーク) |