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自転車世界一周の旅/第1話  四万キロを目指してアンカレジを発つ


 二〇〇一年五月二十六日。僕は日本を出た。

(世界一周四万キロを自転車で走る!)

 当時二十七歳。一大決心を胸に秘めての旅立ちだった。

 成田空港を発ち、ロサンゼルスを経由し、およそ二十四時間の空路、到着したアンカレジは、やはりまだ五月二十六日だった。

日本/新宿駅前
【日本/新宿駅前】
 日本
(Japan)
 アメリカ合衆国
(United States of America)

 白夜のアラスカ。もう深夜だというのに、空港の外はうっすらと明るかった。しかし僕は猛烈に眠い。空港のベンチで夜を明かし、朝になるのを待った。同じように空港で寝ている人たちはほかに何人もいた。

 やがて五月二十七日の朝が来た。青空が眩しかった。

 これから始まる旅に、わくわくしていた。楽しみでもあった。怖さはなかった。ちょっぴり寂しくはあった。

 学生時代から愛用の青いザックを背負った僕は、空港ターミナルビルから一歩外へ出て、大きく伸びをした。空気はひんやりとしていたが、さほど寒くはなかった。肌に心地良い涼しさだった。

*   *   *

アラスカ/アンカレジ空港
【アラスカ/アンカレジ空港】

アラスカ/アンカレジ市街
【アラスカ/アンカレジ市街】

 アンカレジで僕は自転車を買った。

 三年半勤めた旅行会社を退職し、この長い旅に出ることを決意したとき、自転車を用いるかどうかは迷った部分もあった。学生時代を含め何度か海外に自転車を持っていったことはあったが、その楽しさと同時に辛さも知っていた。むしろ期間が長くなれば、辛さのほうが大きいのではないかと思った。

(この地球は、自転車で走るにはあまりにでかすぎるのではないだろうか?)

 それでも僕は自転車旅行を選択した。大学でサイクリング部に所属していた僕が、そもそも旅の楽しさに目覚めたのが、紛れもなく自転車のお陰だったからだ。自分の生まれてきたこの星を、自分の足で回ってみたかった。そのためにはやっぱり、自転車が最適だった。

 出発を北米に決めた。北米から南米、そして大西洋を越える。ヨーロッパに飛ぶかアフリカに飛ぶかは、お金と気力次第。いずれにせよ最後はアジア。世界をぐるっと回って、ゴールの日本を目指すのだ。

 予算は全財産二百万、予定期間は一年以上二年未満、漠然と二十九歳の誕生日までには帰る予定でいた。

 走行目標は地球一周四万キロ。正直なところ二年足らずで四万キロは難しいだろうと思ったが、こんな途方もない旅においては、夢を目標として掲げるくらいがちょうどいい。そんなふうに自分に言い聞かせた。

 日本から自転車を運んでもよかったのだが、持っている自転車がかなり傷んでいたこともあり、僕は新車を調達することにした。REIという有名なアウトドアの店で見つけた自転車は、銀色のマウンテンバイク。ハンドルが数字の8の字を横にしたような、蝶々のような形をしているのが気に入った。ほかに荷物を収めるためのサイドバッグや、自炊をするためのキャンピングコンロなどを買った。しめて九百五十ドル、約十一万七千円という出費になった。

アラスカ/アンカレジ鉄道駅
【アラスカ/アンカレジ鉄道駅】

アラスカ/アンカレジ市内の公園
【アラスカ/アンカレジ市内の公園】

*   *   *

 自転車を購入した僕は、早速アンカレジを発つことにした。

 泊まったユースホステルに、人影はまばらだった。見送る人は誰もいなかったが、むしろそれが気楽だった。

 左のサイドバッグには工具や合羽や自炊道具などを入れ、右のサイドバッグには水や食料を詰め、前輪の両側に吊り下げた。着替えや寝袋など、夜になるまで必要のないものはザックにしまい、後ろの荷台に括り付けた。自転車本体は十キロ弱の重さだが、荷物を全部積むと三十キロ近い重さになる。走行中の安定を保つためにも、荷物はバランス良く振り分けることが肝腎だ。

 僕は自転車にまたがり、慎重にペダルを踏んだ。思わずその重さによろめきそうになった。サイドバッグを付けて荷物満載の自転車をこぐのは久しぶりだから、無理もないことだ。だが、じきに慣れるだろう。

 人口二十五万人あまりのアンカレジ。町はのっぺりと広く、低層の住宅地が続く。僕は針路を北にとった。

 最初の目的地はアラスカ中央部のデナリ国立公園。現地の言葉で「偉大な」を意味するデナリは、英語ではマッキンリーとして知られる北米最高峰のこと。アンカレジからの距離はおよそ三百八十キロ。三日間走れば辿り着くだろうと、僕は頭の中で計算をした。

アラスカ/アンカレジのユースホステル
【アラスカ/アンカレジのユースホステル】

アラスカ/アンカレジから北へ、デナリハイウェイ
【アラスカ/アンカレジから北へ、デナリハイウェイ】

 路肩の広い道。時速二十キロで走る僕の左側を、図体の大きなアメリカ車が唸りをあげて走り抜けていく。目の前に続く長い一本の道を、僕はしっかりと見つめた。遠くに空が見えた。その空の向こうまで、この道はずっと続いている。

 結果的に二〇〇三年十一月十七日まで続く、九百六日間の長い旅の、それは始まりだった。

出発から10キロ(40000キロまで、あと39990キロ)

できごと 距離
2001 05 26 日本 旅立ち 空路アラスカへ
27 アメリカ アンカレジにて自転車購入
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